なないろのあめ

七色の魔法の杖を持って、この世界に花を咲かせよう。歓びの歌を響かせよう。

自己価値

自分には合う場所と合わない場所がある。
それでいいのだ。

以前は、たまたま合わない場所に出会ってしまうと、この世界には自分の居場所がないとまで思ってしまう自分がいた。

今の私を知っている人達から見ると、信じられないと言うだろが。笑

今の私は、合わない場に出会うとただ合わなかっただけと思う。(プラス、あすこはひどいぜと批判することも多し。笑)

これは多分、自己価値が上がったからだと思う。
だから、自己価値を上げるのは、本当に重要だなと。

自己価値が上がった今は、合わない場所に出会ってもそこに執着しないで、とっとと離れる。

執着せずに、恐怖を乗り越えていろいろな場に参加していろいろな人と出会っている内に、世の中にはいろいろな場やいろいろな人がいて、あの場はただ自分に合わなかっただけ、ということがよくわかってくる。

そのためには、やっぱり自己価値を上げていくことが重要なんだナ。

自己価値の上げ方も、おいおい、発信したり伝えていったりしたいなと思っている今日この頃ですが。

「力」にフォーカスして話を聴く

先日、話を聴くショート講座みたいなのに参加させていただいた。

 

こういう講座に出なくなって久しいが、関心をもった方がいて、この方はどういうふうに人の話を聴いているのだろうと知りたくて。

 

その方は、その人のニーズはなんだろうと思いながら話を聞いているのだと。
自分自身との対話でも、ニーズはなんだろうと思いながら対話する。


言葉やニュアンスは違うかもしれないけど、そんな感じ。

 

 

なるほど。

 

 


家に帰ってから、自分はどうやって話を聴いているんだろうと考えてみた。
(人の話を聴くことをもう十年以上もやっているので)

 

私は、目の前にいる人の「力」にフォーカスして話を聴いているのだとわかった。


つまり、目の前にいる人は神であり、創造者であり、また自分と対等な存在であると思って話を聴いているのだ。
(神という言葉はメタファーですが)

 

そうやって聴いていると、目の前の人はどんどん本当の力を思い出していく。
私が想像もしなかったやり方で。

 

 

この聴き方は誰かから教わったものではない。


セラピーだとか聴き方だとかではない、いろいろな学びをする中で自分が腑に落ちたことを、「聴く」ことに応用した自分独自のやり方で、こういう聴き方をしているのはもしかしたら自分以外にはいないかもしれない。
(結果として似たようなことをしている人はいるかもしれないけど)

 

 

自分も相手も神だと思っているから
(何度も言うけど神はメタファー)
対等だから
思ったことを結構なんでも言う。
善悪優劣の価値観をはずしているし、その人の力を信じているから。
でも、その場での主役が相手だということは絶対に忘れない。
自分の価値観を押し付けて、その人の力を奪ってしまわないことをいつも意識している。


(一対一で聴いている時は。場を作っている時はなるべく何も言わない。でもその時も、場や一人一人の力には意識を向けている)

 

 

いろんなセラピストやファシリテーターやいろいろな人と会い、違和感や嫌な思いを死ぬほどいっぱいして、自分はこういう聴き方をしてほしかったというのを自分で形にしてやっているともいえる。

 

 

だから
ニーズにフォーカスするというやり方は
自分の聴き方とは違っていて面白かった。

もう少し深めてみるかも。

生と死を考える読書会

明日は、生や死について考える読書会の2回目。
明日みんなで話すのは、森達也の『死刑』を読んで。
前回は田口ランディの『逆さに吊るされた男』だった。

今年、オウム事件関係の方々が死刑の執行をされ、死刑とはなんだろう、死とはなんだろうということを改めて考えてみたいというのがきっかけになっている。

こういう場でも作らないと、こんな重いテーマは考えたくないからね。
スピ的にワクワクとか引き寄せとか言って、思考停止になって、見て見ぬフリをして過ごした方がラクだからね。

だが、これは人ごとなのか。

人は死ぬ。必ず死ぬ。
金持ちも貧乏人も悪人も善人も必ず死ぬ。
ある意味、死ほど平等なものはないと言ってもいいかもしれない。

実父が9年前に死に、また同時期に高齢の愛犬2匹が死に、死はなんだろうと考え始めた。
だれか権威のある人や宗教者から「死はこういうものだ」と学ぶのではなく、目の前にいる人と語る中で自分にとっての生や死についてひとりひとりが言葉を紡ぐ場を作りたい。
そういう思いから場づくりやファシリテーションを学び、「死を考え学ぶ会」というのを立ち上げた。
死をタブー視するのではなく、まだ若い頃から死について語れる場を作りたかった。

人はいつか老いて死ぬ存在であるということを受け入れるということは、自分の中の弱さを受け入れるということだ。
自分の中の弱さを受け入れることができれば、当然のことながら弱者やマイノリティに対する眼差しが変わってくる。
他人ごとではなく、自分ごとになってくる。
いじめだって減るに違いない。
(いじめに関しては学校で子供が自分で考える対話の場や、ロールプレイがあったらいいとは思っているけど。そういう活動もやっていきたいなぁ。体がいくつあっても足りないけど)

話がそれた。

そう、今は読書会の話だ。


とにかく、前回の読書会が超面白かった。
集まったメンバーの語りが面白い。
本に触発されて、各自が自分のことを語り出す。
へー、この人はこんなことを考えていたのかと、表面的に付き合っていただけでは見えてこなかったその人が見えてくる。

特に今いる参加者の方々の面々の個性が強烈で、超面白い。

今回は「死刑」という少々難しいテーマ。
みなさんがどういう思いでこの本を読んだのか聞くのが楽しみ。

じっくり話を聴き合いたいから、新しい募集はしないで、少人数の同じメンバーで続けていく予定。
回を重ねることで関係性や対等性や信頼関係を深めていけたらいいなという意図もありつつ。
私の思いつきにのってくれて、場づくりを一緒にやってくれている Iちゃんと、こっそりタイムラインに流しただけなのに関心をもって、重いテーマの本を読んで金曜日夜に来てくださる皆様にも感謝。

ウィッシュリスト

この三か月間、新月と満月の時に、自分のウィッシュリストを書くことをやっていた。

 

自分にはどんな願いがあり、その下にはどんなニーズがあるか。

その願いやニーズを満たすために、今どんな具体的な行動(小さな一歩)をとればいいか。

 

願いやニーズという「抽象」と、具体的アクションを行ったり来たりしながら、今の自分に何ができるかを考える。

もし、自分の行動を阻む不安や怖れがあるのなら、自己対話しながら、それに対する対策を考える。

 

贅沢な時間だった。

 

こういう生き方があるなんて、数年前まで知らなかった。

いつも、怖れや不安や孤独や虚無感に取り囲まれていて、それを何とかするのにいっぱいいっぱいで、自分の願いとかニーズなんて考えずに生きてきた。

 

そもそも、自分のニーズがあることも気付かなかったし、それを充たしていいとか、それを充たす力が自分にあるとか、そんなことを考えずに生きてきた。

 

自分で自分を幸せにすることができる。

人間はもっと自由なんだ。

 

それをもっと伝えていきたい。

もし自分が神だったら

もし自分が神だったら、この地上にどんな世界を創りたいか。

そこから想像してみるといいのかもしれない。

あらゆる条件をとっぱらって。

 

誰かの作った世界の中でサバイバルしていると思うから、

そこに居場所を見つけようとしてわけがわからなくなるのであって、

自分が神で

自分がこの世界を自由に創造できるとしたらどうだろう。

 

まったく視点が違ってくる。

 

 

自分が創造したい世界から、その延長線上で、小さな一歩を踏み出すこと。

それは、

自分の靴を磨くことかもしれないし、

ずっと気になっていた場所に旅行することかもしれないし、

欲しかった服を買うことかもしれない。

誰かに一言「ごめん」もしくは「好きだ」と言うことかもしれない。

 

ものすごく遠くに見える、

自分が創りたい世界は

 

あまりにも小さく見えるこの「一歩」から始まるのだ。

 

自分が創りたい世界とのつながりの中で

日々の日常の中の小さな一歩を心を込めて行うこと。

 

それが自分の命を美しく輝かせる。

 

そうやって生きていると、

人のことなんかどうでもよくなってくるし、

 

承認や

サバイバルだけのために生きる道から

外に出ることができる。

新しい、次の、10年が始まる。

f:id:utukushiisekai:20181114165848j:image

時計を買った。

9年ぶりくらいで。

 

以前、時計を買ったのは、実父が死んでしばらくしてから。

父が死ぬ前の数年間は引きこもっていた。

末期ガン宣告を突然受けて父は4か月くらいで死んだが、その間国立病院から追い出され(いま病院は満床状態)、在宅ホスピスの仕組みを私が作り、座薬のモルヒネを処置しながら父を自分で看取った。

 

白目の部分が少しずつ黄ばんでいき、人が死に行くプロセスを、専門家に頼らずに寄り添い看取った。

 

その数年前から高齢犬2匹が失明、痴呆、徘徊、寝たきりになり、つまり父のそのことがある前から、ほとんど家から出ない生活を送っていたとも言える。

 

しかし、振り返れば、父の死ぬ10年前くらいから引きこもり時期に入り始め、あまり人と関わらなくなっていた。

 

父や犬が死んだ後、人を求めて、外へ出るようになった。

当時の自分は本当に孤独だった。

父も愛犬2匹も死に、原家族が崩壊して、原家族とのつながりもなくなっていた。

 

父の葬式の時、こう考えた。

私の葬式には一体、誰が来てくれるんだろう、と。

 

そして愕然としたのは、父が死んだその年、自分のことを忘年会に誘ってくれる人すら一人もいないと気づいた時だった。

父が死んだ苦しみを分かち合える友人も仲間もいなかった。

 

父が残してくれたお金を使って、それから外に出かけ始めた。

人を求めて。

人とのつながりや交流を求めて。

出かけて行っていろいろな場所に行ったけれども、自分の居場所が見つからなくて、それで自分にとって心地よい場やつながりを作ろうと必死で動いていたのが、父が死んでから今までの9年間だったと言える。

 

この9年間でfacebookの友達は千人以上になり(全員、直接会ったつながり)、自分でさまざまな場やコミュニティやつながりを作り、自分でファシリテーターをやり、役者として芝居の舞台に立ち、女神の扮装をして「語り」をやり、瞑想指導の講師をし、自分が話すお話会をやった。

つまり、この9年間は外へ外へと拡大していく9年間だったと言える。

 

父が死んだ年、私を忘年会に誘ってくれる人は誰もいなかったし、私が参加できる忘年会もなかったけど、今年などは忘年会が多すぎてスケジュール調整が大変。

いろんな場が、いろんな人達が、私の存在を待っていてくれているのを感じる。

無理しないで、自分が自分のままで、それを喜んでくれる居場所がいくつもあり、自分でも場を主催している。

もう、孤独ではない。

 

その前の10年間は、それとは対照的に、深く深く潜っていく10年間だった。

著名な精神科医と出会い、生まれて初めて無条件に承認してもらう経験をし、精神療法を学び、自分の内側へ、社会の内側へと、深くダイブしていった。

(その成果として、自著を一冊書き上げた。)

 

自己肯定感を少しずつ高めていった。

丁寧に自分を見つめながら。

 

自助グループを主催し、コミュニティ通貨を勉強し、有機農法の畑を始め、市民運動や障害者自立生活運動とも関わった。

 

 

 

そして、これからの(今からの)10年間は、たぶん循環させていく10年になるだろう。

深く深く潜ってつかみ取ったものを、横へ広げて行ったネットワーク、この世界の網の目状のつながりの中へ、ひろげ、循環させていく。

 

まず、自分が喜び、幸せになり、豊かになり、それをこの世界に巡らし、循環させていく。

そんな10年になる。

 

利己でも利他でもなく、自分も人も共に豊かになっていく第三の道へ。

 

 

あれ。

そうだった。

時計の話だった。

 

父が死んだ後に、いろんな場に赴き始めたが、その頃私は自分の身なりに全く意識が向いていなかった。

看取りその他で、身なりどころではなかったし。

 

靴を脱いで参加するワークショップみたいなところに出て、自分の靴下に穴が空いているのに気づき、帰りにいっぱい靴下を買って帰ったっけ。

 

それから、少しずついろんな場に出かけ、親しく話せる相手も増えてきた頃、その内の一人から、私がつけている時計がぼろぼろだと指摘された。

 

ダイバーウオッチ。

30代前半はダイビングにはまり100本以上潜った。

その頃からずっとつけていたダイバーウオッチ。もう潜りに行くこともなくなっていたのに。

確かにぼろぼろで、言われるまで気づかなかった。

 

ぼろぼろだと指摘されて、恥ずかしくてすぐ買ったのが薄いバイオレット色のG-shockだった。

 

そして、この数日前。

ふと自分の腕を見たら、G-shockのこの時計のバンドが傷だらけになったり、色がはげたり、ぼろぼろになっているのに気づき、自分が次のフェイズに来ているんだなと、なんとなくわかった。

 

新しい、次の、10年が始まる。

 

 

私は笑いを選択する

私が市民運動と関わりだしたのは、2004年のイラク日本人人質事件がきっかけだった。
この時、解放された高遠さんらに浴びせられたバッシングを見て、日本は全体主義に向かっているという恐怖を感じ、自分が足元からできることは何かを考え始めた。

あの時、このバッシングに対して私と同じような違和感を持っている人が見つからなかったから、自分が自分のやり方でしかやっていくしかないなと、思った。

市民運動やっている人達も沈黙していた。
市民運動やっている人達は、ヘイトスピーチが始まった当初も沈黙していた。
みんなが騒ぎだしてから、一緒に声を上げ始める人達だとしか思えなかった。

そもそも、有機農の畑を始めたのも、これが発端。
食とエネルギーを国や企業に支配されたらノーも言えなくなる。
最低、言いたいことを言うために、食とエネルギーでは自立しておこうと。
311の起こるずっと前だったけど、そんなことを言っている自分はずいぶんと変人扱いされたが。変人どころか、ばかにされた。私をばかにしていた人達が、311後に手を返したように考えを変えたので、逆に私は畑をやる気が萎えてしまったんだけど。

解放されたジャーナリストの安田さんに対するバッシングを見て、少しも1ミリも変わってないな、と。
それどころか、悪くなっている。

今年になってからの日大とかスポーツ業界へのバッシングを見ても、何かちょっとでもやらかした人を手ぐすね引いて待っていて、みんなで吊るし上げようという感じがこわい。

もはやもはや、笑い飛ばすしかないなー、いろいろと。

地域で笑いヨガ始めます。笑