なないろのあめ

七色の魔法の杖を持って、この世界に花を咲かせよう。歓びの歌を響かせよう。

グルやマスターに群れているコミュティが超気持ち悪い

パワーのあるカリスマ的な

スピリチュアルリーダーやマスターのまわりに

大勢が群れているコミュニテが、

自分はつくづく嫌いだ。

 

そういうコミュニティの参加者は、

自分の力を外側にあけわたしてしまい、

そのコミュニティでどうやったら認められるか

みたいなことをずっとやっている。

 

グルやマスターがこう言った、

ああ言った、みたいなことばかり言ってて、

自分がどう感じているとか何がしたいのかが

なくなっていく。

 

グルやマスターが自分より絶対に上で

パワフルであるという序列があるから、

そこから何かをいただいたり、

承認してもらうことで

自分も特別な存在になろうとする。

 

そういう場は、グルが言ったことが、

ある種のルールや正しさになり、

自分の力を思いだせなくなる。

 

スピリチュアルな学びをする場では、

大なり小なりそういう傾向があり、

私はそういうのがずっと気持ち悪かった。

 

だけど、その違和感を

否定していた時期が長かった。

 

 

そういう場で教師やそこにいる人達を

批判的に見ている自分のことを

いつもセルフジャッジしていた。

 

そう思う自分の方が間違っていると。

 

が、ここ数年で、

違うと思っている自分の感覚に

ようやくイエスを言えるようになった。

 

だって

すべての人が自身のマスターであり、

自分の中にしか答はないと思っているから。

 

自分の内側に在る神と喜びの感覚こそが

自分を導く道しるべなんだ。

 

 

パワフルな誰かを探して追いかけて、

グルやマスターの言う小難しい瞑想や考えを実践するより、

毎日10分でもいいから、

自分の身体感覚や呼吸に意識を向けてあげる方が重要だ。

 

自分以外の何物かになろうとするところから、

苦しみは生まれる。

 

スピリチュアルリーダーのところに行って、

そういう人を見本にし始めるから

ますます自分がわからなくなる。

 

 

自分に居直ろう。

自分の感覚を認めよう。

(例えば、この集団おかしくない?という感覚も含め。)

 

その自分の感覚こそが、

自分が必要としている答へと

自身を導いてくれるのだ。

「Twitter星」と「生きづらさ星」の間にあるミゾとは何か?

最近Twitterをやり始めたばかりなのだが、

Twitterを見ていると色々なことが見えてきて面白い。

 

Twitter星では、起業とか副業とかバズるとか

それまで私があまり縁のなかった世界観があった。

 

それまで私がいた星というのは、

そもそも生きる意味もわからず、

自分に価値を見いだせず、

お金をどう使っていいかわからない人達の世界だった。

 

Twitter星と今まで私がいた星。

 

このふたつの星、

このふたつの世界は、

まったく違う価値観が支配している。

 

この差はなんだろうと今考えている。

 

私がかつていた星(世界)というのは、

欲望や生きる意味を奪われた人達が住んでいた星だった。

 

そもそも生きる意味がわからないのだ。

生きている理由がわからないのだ。

 

そういう人にとっては、お金は紙切れでしかない。

 

そういう人たちの生きる時間そのものがゆるやかな自殺だ。

 

 

その人達は(かつての私も)、

なぜ生きる意味がなくなってしまったのだろう。

 

それをもう少し、深めて考えていって、

じっくりと書いてみたい。

 

どうせ死ぬのになぜ生きるのか。

生きることは苦しみなのになぜ生きる?

 

その問いを前にして立ち往生している人達がいっぱいいる。

 

そうやって立ち往生している人達に

私は何を伝えられるのか。

何ができるのか。

それが、私が長年考え続けてきたことで。

 

そのために始めたのが、ダイアローグセラピー。

これが、自分の想像以上に、

生きる意味を思い出す手助けとなっているみたい。

 

それから

今年やっていきたいのはお話会。

 

いままでも色々な場を作ってきたけど、

今年は「どうしたら生きる意味や生きる喜びを見出すことができるか」に

フォーカスする。

 

いままでは参加者の人に語ってもらうことが多かったが、

今年は自分ががんがんしゃべる。伝える。

 

書く。書くことでも伝える。

 

 

 

いま思った仮説は

 

生きる意味というのは、

自分の中にある小さな欲求にイエスを言うところからしか始まらないのだが、

生きづらさ星の人は、

その小さな欲求を否定し続けてきて、

それが感じられなくなってしまっているのではないかということ。

 

続きはnoteの方で書き足しながら、

どんどん深めていくつもり。

 

なわけで、

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   [

マインドフルネスになるのに何時間も座る必要はない

最近、マインドフルネスという言葉や

マインドフルネス瞑想というのが流行っている。

 

Google社がマインドフルネス研修を導入したことで

マインドフルネスという言葉は一躍有名になったようだ。

 

私も今ネットを検索してみた。w

 

ネット上では、

マインドフルネスとは「注意深く気づいていること」と書かれていた。

 

うん。なるほど。

 

じゃあ、それどうやったらできるの?

 

いろんな瞑想法や呼吸法などもネット上には紹介されていた。

だが、どうもピンとこない。

 

私は取材を含めてありとあらゆる瞑想法やワークを体験した人間だが、

こういうことをすればするほど

マインドフルネスな状態から離れていった気がする。

 

なので自分の経験から、

こうしたら人と関わる上で「マインドフルネス=注意深く気づいている状態」になれたよ

ということを、具体的に書いてみようと思う。

 

「なぜ人と関わる上で」と限定したかというと、

一人だけでマインドフルネスになるのは簡単なんですよ。

でも人と関わるとすぐに崩れる。

というか、すべての問題は対人関係から生じると言っても過言ではない。

 

 

なのでここでは、人と関わる時の心の状態と

こうしたらマインドフルネスに近づけるということを、

自分の経験から具体的に書いてみたいと思う。

 

 

自分の中に降りてきた言葉をそのまま書きます。

断言口調ですが、自分の内側とつながって出てきた言葉なので

そのまま書いた方が伝わるのではないかと。

特にこの手の話題では。

 

なのでそのまま書きます。

 

 

 

 

善悪優劣と偏見と先入観。


それをいかにしてはずして、

人と相対し話を聞けるかどうか。

 

なくすということではない。
それをなくすのは、ほぼ不可能。

 

ある人を見た時、

自分が自動反応的にくだしている判断がある。


こういう言い方をする人はこうだ、

こういう肩書きの人はこうだ、

こういう見た目の人はこうだ。


自分の中にあるその決めつけに、まずは気付くこと。

 

 

それに気付き始めたら、面白いことがわかるよ。


自分がいかに人を見ていないか、

自分がいかに人の話を聞いてないかがわかるから。


見ているのはいつも自分の中にある思い込みで、

聞いているのはいつも自分の中にある判断。

 

誰かの言葉を聞くと即座に「私」はこう言うだろう。
「こんなこと言うこの人はダメだ」
「こんなこと言うこの人はすごい」
「こんなこと言う人はおかしい」


つまり、自分の頭の中に鳴り響いている

「相手に対する判断」を聞いているだけ。

 

 

もしくはこういう人もいるよね。
「ちゃんと聞かなきゃ」
「聞けてない自分はダメだ」
「正しく聞こう」
「ジャッジしちゃだめだ」


こういう人は、自分の頭の中に鳴り響いている

「自分に対する判断」を聞いているだけ。

 

もしくは人の話を聞きながら、

他のことを考えていたり、

ここに全くいない場合もある。

 

だけど正しい聞き方があるわけじゃない。


自分に何が起きているのかを

自覚しているのが大事だ。

 

正しい聞き方があると思ってそっちにいこうとすると、

また違う迷路に入ってしまう。
(自覚してやっている限り、それはそれで面白いのだが)

 

こうやって、今自分の内側に何が起きているのかに気付き始め、

そこを自覚した上で話を聞き、

人と相対し始めると、

人の言葉や人の振る舞いが

今までとまったく違うものとして立ち上がってくる。

 

これがマインドフルネスの状態じゃないかと、

私は勝手に思っている。

 

マインドフルネスになるのに何時間も座る必要性もない。


というか、座れば座るほどマインドフルネスから離れていく人も多い。

 

マインドフルネスは何かを無にすることでも、

判断をなくすことでもない。


自分の内側に起きていることに

ただ気づいていること。

 

この気づきや自覚がないと、

自分の幻想に溺れて生きているということになる。

 

ここに気付き始めると、

本当に生きるのがラクになるし、

人と関わるのが楽しくなってくる。

 

もやもやしている気分をよくする10の方法

私は以前、

自己否定にとらわれたり

人から嫌なことを言われたり

誰かにハラが立ったり

落ち込んだり

自己嫌悪にはまったりすると、

 

モヤモヤして

何もできなくなって

なんどもなんども

おんなじことを繰り返し考えて

体も動かなくなって、

 

下手すると

そこから何ヶ月も

出られないことがありました。

 

でも今はそんなことは

ほとんどなくなった。

ひきずらなくなりました。

 

気持ちを切り替えるやり方を

自分なりに模索していって。

 

何か嫌なことがあっても

気分転換する方法を知っているからです。

 

 

いろいろなやり方があるのですが、

ここでは、私がいつもやっている

10のやり方をご紹介します。

 

 

その1

日帰り温泉に行って思い切り汗を流す。

 

 

私はサイキックな友人が多いのですが、

これが一番いいとみんな言いますね。

特に他人からの影響を受けた時には。

 

温泉に1分でも浸かっていれば

疲れがとれると。

 

私もちょっとモヤモヤしたときには

丸一日空けて

日帰り温泉に行きます。

 

露天風呂につかって、空を眺めていると

嫌なことがとけて流れて行くような感じがする。

 

汗をたくさんかくくらいまで

浸かっているのがオススメ。

 

のぼせないように

何度も出たり入ったりしてね。

 

 

 

その2

日帰り温泉に行く時間がない時は、

家のお風呂で半身浴をする。

 

 

日帰り温泉に行く気力も出ない時は、

よく半身浴をやっています。

 

半身浴というのは、

胸から下くらいの高さの

ぬるめのお湯に汗が出るまで入ること。

(「半身浴」でググってみてね)

 

粗塩をひとつかみ

お湯に入れたりすると

なおいいですね。

(市販の入浴剤は人工香料などが入っているので

あまりおすすめできません。)

 

湯船に浸かっているときに、

頭のてっぺんに粗塩をひとつかみ

のせておくのもグッド。

チベット医学式やり方)

 

粗塩がとけてきたら、

その塩でお風呂に浸かったまま

頭頂やこめかみやこめかみの周辺を

粗塩でマッサージしてみてください。

 

 

 

その3

スパイスの利いた料理を食べる。

 

 

これ結構効きます。

辛めのインド料理とかタイ料理とか。

 

スパイスは代謝を促す効果があります。

代謝を促すってことは

エネルギーを流すってこと。

 

汗をかくのもそうだけど、

エネルギーが流れるっていうことは

とどこおっていたモヤモヤも嫌な気分も

動き出すってことなんです。

 

 

 

その4

時間をかけて料理を作る。

 

 

たっぷり時間をかけて

手の込んだ料理を作るのもおすすめ。

 

これはなんでだろうな。

 

私の感覚では、

野菜を切ったり刻んだりしていると

野菜からエネルギーを

もらっているような感じがするんです。

 

刻んだ野菜をコトコト煮込んでいると、

野菜のエネルギーがスープになり、

それを飲むと野菜の甘みが自分の細胞の

ひとつひとつに浸透していって、

自然(野菜)が自分を助けてくれるような感じがします。

 

私はインド料理を習っていたことがあるので、

たくさんスパイスを使って料理すると

一石二鳥。

レストランでは

そんなにたくさんスパイスを使ってくれませんので。

 

インド料理を習ってみるのも、ありかもね。

 

 

 

その5

マッサージを受ける。

 

 

自分でお風呂をわかしたり、

料理を作ったりする気力のない時もあります。

そんな時は他力本願。

私はマッサージを受けに行きます。

 

アーユルヴェーダとか

アロマを使ったオイルマッサージとか

タイ古式マッサージとか。

 

1時間くらいたっぷり、

オイルやアロマを使って全身をマッサージしてもらうと

だいたい私は熟睡しちゃいます。

 

これもエネルギーを流す効果があるんだと思う。

 

人にやってもらうってやっぱり早い。

自分の体をとても丁寧にケアしてもらうって

自分の体とつながりやすくなる感じがする。

 

ちょっとした疲れとかは

リフレクソロジーをやってもらうことが多いです。

 

 

 

その6

少し気力がある時には海に行く。

 

 

海ってやっぱり浄化作用がすごい!

そもそも塩水だし。

 

夏だったら水着を持っていって海の中まで入るけど、

冬の海を見ているだけでも内側から癒されてく。

 

私が好きなのは、

海が見えるレストランを予約して

ちょっとしたものを食べながら

一人でワインやシャンパンを飲むこと。

こういう贅沢を時々自分にプレゼントしてあげるのも大事。

 

江ノ島の上の方に、海が一望できるレストランがあるはず。

(調べてね)

そこは本当に「気」がいい。

 

江ノ島に行ったら、

ついでに江ノ島神社に行くとか。

 

一日だけの小旅行をしてみると、

それだけで随分気分が変わります。

 

 

 

その7

とにかく自分の好きなことをする。

 

 

イヤなことに自分の気持ちがフォーカスしているのを、

好きなことにフォーカスし直すということです。

 

でもこれが習慣化していない人には

なかなかうまくいかないかも。

そもそも自分が好きなことって何?って

わからない人もいるかもしれない。

 

なのでオススメは、

元気な状態の時に、

名刺くらいのサイズのカードに

自分の好きなことや

これやると元気になるみたいなことを

1枚につき1項目を

書き出しておく。

 

このアーティストの絵を見る。

この料理を食べる。

ここに行く。

このゲームをする。

など

など

自分にとっての

パワースポット的な

自分にパワーを与えてくれるものを

書き出しておく。

 

そして気持ちが落ち込んだ時には、

そのカードを裏返して、

そこから一枚引いてそれをやってみる。

 

カードを引いて自分が元気になることを

順番にやってみる。

 

気力がある時に

このカードを作っておくというのが

コツですね。

 

 

 

その8

自己批判の言葉の後に「なんちゃって」とつける。

 

 

自己批判や自己否定の言葉が

自分の頭の中で

繰り返し流れていることってないですか。

 

えんえんと

なんであんなこと言っちゃったんだろうとか

なんで私はこうなんだろうとか

こんな自分が嫌いだとか

そういう言葉が止まらない時。

 

そんな時は、

それらの言葉の最後に

「なんちゃって」とつけて言ってみてください。笑

 

例えば

「私はどうしてこんなにダメなんだろう。なんちゃって」笑

みたいな感じで。

 

自分で自分を否定した言葉を、

「なんちゃって」と打ち消すわけです。

 

簡単だけど、効果あり。

 

 

 

その9

怒った後に笑ってみる。

 

 

怒りが止まらないことってありませんか。

(私はよくあります。笑)

 

怒りを抑圧しても

いいことはありません。

一人の時に

言葉にして出しちゃいましょう。

 

例えば、

○○さん、ほんとムカつく!ばかやろー!とか。

 

ただし、注意事項があります。

 

それをやっていると

怒りにますます火がついて

怒りが止まらなくなることがあるんです。

 

なので、

「○○さん、ほんとムカつく!ばかやろー!」

と言った後には、

必ず笑ってみてください。

 

「○○さん、ほんとムカつく!ばかやろー!あはははははは」

みたいに。笑

だんだん怒るのさえばからしくなってきます。

 

笑うのも習慣なんですよね。

日頃、笑い慣れている人は、

けっこう何でも笑い飛ばせる。

 

私は笑いヨガリーダーをやっていて、

この春から

地域でも笑いヨガのサークルを始めますが、

笑いヨガをやってみるのもひとつの手ですね。

 

 

 

その10

モヤモヤや感情を、箱に入れて爆破する。

 

 

最後のやり方は

ちょっと難易度が高いです。

イメージを使うやり方です。

 

まず、目の前に

小さな箱をイメージします。

 

イメージでその箱のフタをあけて、

自分のなかにあるモヤモヤやイヤな感情を

すべて入れてしまって、

しっかりとフタを閉めてください。

 

そうしたら

その箱をなるべく自分から遠いところに置いて

その箱の下にダイナマイトをつけて、

ダイナマイトごとその箱を粉々にしてしまってください。

粉々になった箱は金色のニュートラルな粒子になって、

本来あるべきところに帰っていきます。

(もちろんすべてイメージの中で行います。)

 

 

「その10」は、

私がお話会やワークショップなどで

お伝えしている方法です。

 

このへんのやり方を

もっと詳しくお知りになりたいという方は、

ぜひお話会やワークショップへ。

(開催する時は、今後はこちらのブログでも告知していきます。)

 

 

 

最後に

 

 

どうでしょうか。

自分でも使えそうな方法はあったでしょうか。

 

頭の中だけでもんもんと考えてみても

そこから抜け出すことはなかなかできないので、

何かひとつでもいいからぜひやってみてください。

 

あ、そうだ。

激しい運動をして汗を流すのもいいですよ。

 

私はダンスが好き。

型があるとうまく踊れないので、

例えばズンバとかボクササイズ系の

あんまり考えずに好き勝手に踊れるものを

週一くらいで、ジムでやっています。

 

走れる人は、走るのもいいですね。

 

 

 

上記の方法はどれも効果はあるんですが、

だけど所詮は対症療法でもあります。

 

その場では気持ちを切り替えることができても、

またすぐに同じ状況に陥るのであれば

自分自身の認知に問題があるのかもしれません。

 

例えば、

自分は何をやっても人に嫌われるとか

自分は愛される価値がないとか

思い込んでいれば

幸せな気分になりにくいのは

一目瞭然でしょう。

 

そんな時は是非

私のダイアローグセラピーを

試してみてください。

 

自分を生きにくくしている

どんな思い込みがあるのかを

対話を通して見ていき、

それを手放すためのセラピーです。

 

根っこにある信念や思い込みや

認知の仕方を変えてしまえば、

ちょっとしたことでは落ち込まなくなります。

 

 

最後は宣伝になっちゃった。笑

でも、まずは10の方法を試してみてね。

 

 

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「心と魂を調律するダイアローグセラピー」

人はそれぞれ独自の周波数を持って生まれてきます。

その周波数はあなただけの独自のもので、この地上にひとつだけの周波数です。

すべての人がそれぞれオリジナルの音(周波数)を持っていて、それが響き合い、交響曲のような美しい音楽を奏でているのが地球だと私は思っています。

その響きを思い出し、本来の自分にしか奏でられない音を奏で、自分にしか歌えない歌を取り戻すための三回セッションです。
(歌とか音とかはもちろんメタファーですが、つまり、自分の魂の個性を思い出すためのセッションです。)


1時間のセッションをスカイプを使って3週続けて行い、ダイアローグ(対話)とエネルギー調整で、自分が自分の人生の創造者であることを思い出していきます。

毎週1回スカイプでセッションし3週連続。

3回で2万円(事前振込)。

Seikoと日程調整して行います。


*単発で7000円でもお受けしますが、3回連続で受けることをおすすめします。
3回終了した方が単発で受ける場合は、1回5000円になります。

詳細、お申込み、お問い合わせは

下記をご覧ください。

https://ameblo.jp/seikokt/entry-12436624601.html

診察室から出て、社会的問題解決のために奔走した精神科医・斎藤学氏のこと

20数年前に

ありとあらゆるセラピー技法を、

つまみ食い的に試していたことがある。

 

プロセスワーク、ハコミセラピー、バイオシンセシス

バイオエナジェティック、サイコドラマ、交流分析

ゲシュタルト、ロジャース、ユングフロイト、箱庭、ナラティブ……。

 

20数年前、

カウンセラーさえ珍しく、コーチはまだ日本にいなくて、

心に悩みを抱く人間や引きこもりは異常だと言われた時代。

(そんな時代があったこと、信じられますか?)

 

DVや児童虐待は家庭内の問題とされ、

そこで何が起こっても部外者は立ち入ることが難しかった。

 

カウンセリングを受けられるのは、

当時、精神科や心療内科を受診した人だけだった。

 

そういう状況を変えて、

セラピーを誰でも受けられるように門戸を開放し、

いろんなセラピーが世の中にはあるんだよと

日本に紹介していったのが、

我が師である精神分析医の斎藤学氏だ。

 

 

当時、ユング派ではもちろん河合隼雄氏がいたけれども、

彼はいろんな人がセラピーを受けられるように門戸を開いた人ではなく、

カウンセリングやセラピーを専門化しようとした人だと思う。

 

アダルトチルドレンという言葉と、

自助グループという在り方を世に広めた斎藤学氏は

摂食障害自助グループ「NABA」を作ったのは斎藤学で、

薬物依存の自助グループ「ダルク」を作ったのは斎藤学の患者だった人)、

そういう特権化をひどく嫌う人で、専門家主義を批判した。

 

 

斎藤学氏が運営していたクリニックには、

当時、さまざまな当事者やサバイバーや

ありとあらゆる人が日本中から集まっていた。

 

病気ではないけれど、生きにくい人。

精神科や神経科領域ではないから、

どこに助けを求めていいかわからない人。

 

DV、児童虐待、引きこもり、

差別やいじめやレイプなどなどの当事者、加害者、家族。

 

そういう人たちが日本全国から、

斎藤氏のところに集まってきていて、

互いの話を聞きあっていた。

(言いっ放し聞きっぱなしで

当事者同士が輪になって話を聞き合うのが、

さいとうクリニックのやり方だった。)

 

 

また、斎藤氏のクリニックでは、

デイナイトケアというシステムを使って、

最先端のセラピーを保険適用で好きなだけ

受け放題に受けられる仕組みを作っていた。

 

海外で学んできたけれども

仕事につながっていなかったセラピストの方々が、

ここを実践の場としていた。

 

そして私も、ここでありとあらゆるセラピーを、

保険を使って安く体験できたわけ。

 

 

 

フェミニストの人たちのことを悪く言う人たちがいるけれど、

何を知っていてわかったようなことを言うんだとハラが立つ。

 

誰も介入しなかったDVやレイプや児童虐待の問題を変えてきたのは、

フェミニストたちだ。

それを知らないで、表層的なところだけ見て、

男並みになろうとしている女達だとのたまう連中には苛立ちを禁じえない。

 

 

2000年に「児童虐待防止法」が制定される前、

斎藤学氏は手弁当で何度も国会に足を運び、

児童虐待防止法の制定に尽力した。

 

そもそも、医者であれば、子供が怪我で病院に運びこまれた時、

そこに親からの暴力があるとわかったはずだ。

だが、多くの医者は見て見ぬフリをした。

 

斎藤学は、

精神科医は診察室にこもって患者の治療だけしていればいい

という非難を受けながらも、

診察室から出て行って、児童虐待のことを世に訴え、

本を書き、警鐘を鳴らした。

 

 

DVの被害者が逃げこめる民間のシェルターを私費で作り、

働き場のない患者達をスタッフとして雇うために作ったのが

さいとうクリニックでもあった。

 

斎藤氏は患者から届く膨大な手紙にすべて目を通し、

一言メッセージを入れて返していた。

 

斎藤氏はよくこう言っていた。

「私はただのおじさんだ。あなたたちには力がある。

病はあなたの力の表れだ。」

 

私は斎藤学からこう言われた。

「ウツ?あなたはウツじゃないよ、治しちゃダメだ。

治したらあなたのエキセントリックな魅力がなくなってしまう」

 

 

私は「斎藤先生のこういう業績を本にして残した方がいいよ。私が書いてあげるから」

と言ったのだが、首を縦に振らなかった。

だから、いま、ここに書いた。

(インフルエンザの勢いで。笑)

 

 

私は、こんな治療者をほかに知らない。

彼は河合隼雄みたいにたくさんの本を残してない。

なぜなら、クリニックを立ち上げてからは、

患者と向き合う時間が多すぎて、

本など書いている時間がなかったからだ。

 

 

私は、斎藤学を、リスペクトする。

 

自己価値

自分には合う場所と合わない場所がある。
それでいいのだ。

以前は、たまたま合わない場所に出会ってしまうと、この世界には自分の居場所がないとまで思ってしまう自分がいた。

今の私を知っている人達から見ると、信じられないと言うだろが。笑

今の私は、合わない場に出会うとただ合わなかっただけと思う。(プラス、あすこはひどいぜと批判することも多し。笑)

これは多分、自己価値が上がったからだと思う。
だから、自己価値を上げるのは、本当に重要だなと。

自己価値が上がった今は、合わない場所に出会ってもそこに執着しないで、とっとと離れる。

執着せずに、恐怖を乗り越えていろいろな場に参加していろいろな人と出会っている内に、世の中にはいろいろな場やいろいろな人がいて、あの場はただ自分に合わなかっただけ、ということがよくわかってくる。

そのためには、やっぱり自己価値を上げていくことが重要なんだナ。

自己価値の上げ方も、おいおい、発信したり伝えていったりしたいなと思っている今日この頃ですが。

「力」にフォーカスして話を聴く

先日、話を聴くショート講座みたいなのに参加させていただいた。

 

こういう講座に出なくなって久しいが、関心をもった方がいて、この方はどういうふうに人の話を聴いているのだろうと知りたくて。

 

その方は、その人のニーズはなんだろうと思いながら話を聞いているのだと。
自分自身との対話でも、ニーズはなんだろうと思いながら対話する。


言葉やニュアンスは違うかもしれないけど、そんな感じ。

 

 

なるほど。

 

 


家に帰ってから、自分はどうやって話を聴いているんだろうと考えてみた。
(人の話を聴くことをもう十年以上もやっているので)

 

私は、目の前にいる人の「力」にフォーカスして話を聴いているのだとわかった。


つまり、目の前にいる人は神であり、創造者であり、また自分と対等な存在であると思って話を聴いているのだ。
(神という言葉はメタファーですが)

 

そうやって聴いていると、目の前の人はどんどん本当の力を思い出していく。
私が想像もしなかったやり方で。

 

 

この聴き方は誰かから教わったものではない。


セラピーだとか聴き方だとかではない、いろいろな学びをする中で自分が腑に落ちたことを、「聴く」ことに応用した自分独自のやり方で、こういう聴き方をしているのはもしかしたら自分以外にはいないかもしれない。
(結果として似たようなことをしている人はいるかもしれないけど)

 

 

自分も相手も神だと思っているから
(何度も言うけど神はメタファー)
対等だから
思ったことを結構なんでも言う。
善悪優劣の価値観をはずしているし、その人の力を信じているから。
でも、その場での主役が相手だということは絶対に忘れない。
自分の価値観を押し付けて、その人の力を奪ってしまわないことをいつも意識している。


(一対一で聴いている時は。場を作っている時はなるべく何も言わない。でもその時も、場や一人一人の力には意識を向けている)

 

 

いろんなセラピストやファシリテーターやいろいろな人と会い、違和感や嫌な思いを死ぬほどいっぱいして、自分はこういう聴き方をしてほしかったというのを自分で形にしてやっているともいえる。

 

 

だから
ニーズにフォーカスするというやり方は
自分の聴き方とは違っていて面白かった。

もう少し深めてみるかも。