生と死を考える読書会
明日は、生や死について考える読書会の2回目。
明日みんなで話すのは、森達也の『死刑』を読んで。
前回は田口ランディの『逆さに吊るされた男』だった。
今年、オウム事件関係の方々が死刑の執行をされ、死刑とはなんだろう、死とはなんだろうということを改めて考えてみたいというのがきっかけになっている。
こういう場でも作らないと、こんな重いテーマは考えたくないからね。
スピ的にワクワクとか引き寄せとか言って、思考停止になって、見て見ぬフリをして過ごした方がラクだからね。
だが、これは人ごとなのか。
人は死ぬ。必ず死ぬ。
金持ちも貧乏人も悪人も善人も必ず死ぬ。
ある意味、死ほど平等なものはないと言ってもいいかもしれない。
実父が9年前に死に、また同時期に高齢の愛犬2匹が死に、死はなんだろうと考え始めた。
だれか権威のある人や宗教者から「死はこういうものだ」と学ぶのではなく、目の前にいる人と語る中で自分にとっての生や死についてひとりひとりが言葉を紡ぐ場を作りたい。
そういう思いから場づくりやファシリテーションを学び、「死を考え学ぶ会」というのを立ち上げた。
死をタブー視するのではなく、まだ若い頃から死について語れる場を作りたかった。
人はいつか老いて死ぬ存在であるということを受け入れるということは、自分の中の弱さを受け入れるということだ。
自分の中の弱さを受け入れることができれば、当然のことながら弱者やマイノリティに対する眼差しが変わってくる。
他人ごとではなく、自分ごとになってくる。
いじめだって減るに違いない。
(いじめに関しては学校で子供が自分で考える対話の場や、ロールプレイがあったらいいとは思っているけど。そういう活動もやっていきたいなぁ。体がいくつあっても足りないけど)
話がそれた。
そう、今は読書会の話だ。
とにかく、前回の読書会が超面白かった。
集まったメンバーの語りが面白い。
本に触発されて、各自が自分のことを語り出す。
へー、この人はこんなことを考えていたのかと、表面的に付き合っていただけでは見えてこなかったその人が見えてくる。
特に今いる参加者の方々の面々の個性が強烈で、超面白い。
今回は「死刑」という少々難しいテーマ。
みなさんがどういう思いでこの本を読んだのか聞くのが楽しみ。
じっくり話を聴き合いたいから、新しい募集はしないで、少人数の同じメンバーで続けていく予定。
回を重ねることで関係性や対等性や信頼関係を深めていけたらいいなという意図もありつつ。
私の思いつきにのってくれて、場づくりを一緒にやってくれている Iちゃんと、こっそりタイムラインに流しただけなのに関心をもって、重いテーマの本を読んで金曜日夜に来てくださる皆様にも感謝。
ウィッシュリスト
この三か月間、新月と満月の時に、自分のウィッシュリストを書くことをやっていた。
自分にはどんな願いがあり、その下にはどんなニーズがあるか。
その願いやニーズを満たすために、今どんな具体的な行動(小さな一歩)をとればいいか。
願いやニーズという「抽象」と、具体的アクションを行ったり来たりしながら、今の自分に何ができるかを考える。
もし、自分の行動を阻む不安や怖れがあるのなら、自己対話しながら、それに対する対策を考える。
贅沢な時間だった。
こういう生き方があるなんて、数年前まで知らなかった。
いつも、怖れや不安や孤独や虚無感に取り囲まれていて、それを何とかするのにいっぱいいっぱいで、自分の願いとかニーズなんて考えずに生きてきた。
そもそも、自分のニーズがあることも気付かなかったし、それを充たしていいとか、それを充たす力が自分にあるとか、そんなことを考えずに生きてきた。
自分で自分を幸せにすることができる。
人間はもっと自由なんだ。
それをもっと伝えていきたい。
もし自分が神だったら
もし自分が神だったら、この地上にどんな世界を創りたいか。
そこから想像してみるといいのかもしれない。
あらゆる条件をとっぱらって。
誰かの作った世界の中でサバイバルしていると思うから、
そこに居場所を見つけようとしてわけがわからなくなるのであって、
自分が神で
自分がこの世界を自由に創造できるとしたらどうだろう。
まったく視点が違ってくる。
自分が創造したい世界から、その延長線上で、小さな一歩を踏み出すこと。
それは、
自分の靴を磨くことかもしれないし、
ずっと気になっていた場所に旅行することかもしれないし、
欲しかった服を買うことかもしれない。
誰かに一言「ごめん」もしくは「好きだ」と言うことかもしれない。
ものすごく遠くに見える、
自分が創りたい世界は
あまりにも小さく見えるこの「一歩」から始まるのだ。
自分が創りたい世界とのつながりの中で
日々の日常の中の小さな一歩を心を込めて行うこと。
それが自分の命を美しく輝かせる。
そうやって生きていると、
人のことなんかどうでもよくなってくるし、
承認や
サバイバルだけのために生きる道から
外に出ることができる。
新しい、次の、10年が始まる。
時計を買った。
9年ぶりくらいで。
以前、時計を買ったのは、実父が死んでしばらくしてから。
父が死ぬ前の数年間は引きこもっていた。
末期ガン宣告を突然受けて父は4か月くらいで死んだが、その間国立病院から追い出され(いま病院は満床状態)、在宅ホスピスの仕組みを私が作り、座薬のモルヒネを処置しながら父を自分で看取った。
白目の部分が少しずつ黄ばんでいき、人が死に行くプロセスを、専門家に頼らずに寄り添い看取った。
その数年前から高齢犬2匹が失明、痴呆、徘徊、寝たきりになり、つまり父のそのことがある前から、ほとんど家から出ない生活を送っていたとも言える。
しかし、振り返れば、父の死ぬ10年前くらいから引きこもり時期に入り始め、あまり人と関わらなくなっていた。
父や犬が死んだ後、人を求めて、外へ出るようになった。
当時の自分は本当に孤独だった。
父も愛犬2匹も死に、原家族が崩壊して、原家族とのつながりもなくなっていた。
父の葬式の時、こう考えた。
私の葬式には一体、誰が来てくれるんだろう、と。
そして愕然としたのは、父が死んだその年、自分のことを忘年会に誘ってくれる人すら一人もいないと気づいた時だった。
父が死んだ苦しみを分かち合える友人も仲間もいなかった。
父が残してくれたお金を使って、それから外に出かけ始めた。
人を求めて。
人とのつながりや交流を求めて。
出かけて行っていろいろな場所に行ったけれども、自分の居場所が見つからなくて、それで自分にとって心地よい場やつながりを作ろうと必死で動いていたのが、父が死んでから今までの9年間だったと言える。
この9年間でfacebookの友達は千人以上になり(全員、直接会ったつながり)、自分でさまざまな場やコミュニティやつながりを作り、自分でファシリテーターをやり、役者として芝居の舞台に立ち、女神の扮装をして「語り」をやり、瞑想指導の講師をし、自分が話すお話会をやった。
つまり、この9年間は外へ外へと拡大していく9年間だったと言える。
父が死んだ年、私を忘年会に誘ってくれる人は誰もいなかったし、私が参加できる忘年会もなかったけど、今年などは忘年会が多すぎてスケジュール調整が大変。
いろんな場が、いろんな人達が、私の存在を待っていてくれているのを感じる。
無理しないで、自分が自分のままで、それを喜んでくれる居場所がいくつもあり、自分でも場を主催している。
もう、孤独ではない。
その前の10年間は、それとは対照的に、深く深く潜っていく10年間だった。
著名な精神科医と出会い、生まれて初めて無条件に承認してもらう経験をし、精神療法を学び、自分の内側へ、社会の内側へと、深くダイブしていった。
(その成果として、自著を一冊書き上げた。)
自己肯定感を少しずつ高めていった。
丁寧に自分を見つめながら。
自助グループを主催し、コミュニティ通貨を勉強し、有機農法の畑を始め、市民運動や障害者自立生活運動とも関わった。
そして、これからの(今からの)10年間は、たぶん循環させていく10年になるだろう。
深く深く潜ってつかみ取ったものを、横へ広げて行ったネットワーク、この世界の網の目状のつながりの中へ、ひろげ、循環させていく。
まず、自分が喜び、幸せになり、豊かになり、それをこの世界に巡らし、循環させていく。
そんな10年になる。
利己でも利他でもなく、自分も人も共に豊かになっていく第三の道へ。
あれ。
そうだった。
時計の話だった。
父が死んだ後に、いろんな場に赴き始めたが、その頃私は自分の身なりに全く意識が向いていなかった。
看取りその他で、身なりどころではなかったし。
靴を脱いで参加するワークショップみたいなところに出て、自分の靴下に穴が空いているのに気づき、帰りにいっぱい靴下を買って帰ったっけ。
それから、少しずついろんな場に出かけ、親しく話せる相手も増えてきた頃、その内の一人から、私がつけている時計がぼろぼろだと指摘された。
ダイバーウオッチ。
30代前半はダイビングにはまり100本以上潜った。
その頃からずっとつけていたダイバーウオッチ。もう潜りに行くこともなくなっていたのに。
確かにぼろぼろで、言われるまで気づかなかった。
ぼろぼろだと指摘されて、恥ずかしくてすぐ買ったのが薄いバイオレット色のG-shockだった。
そして、この数日前。
ふと自分の腕を見たら、G-shockのこの時計のバンドが傷だらけになったり、色がはげたり、ぼろぼろになっているのに気づき、自分が次のフェイズに来ているんだなと、なんとなくわかった。
新しい、次の、10年が始まる。
私は笑いを選択する
私が市民運動と関わりだしたのは、2004年のイラク日本人人質事件がきっかけだった。
この時、解放された高遠さんらに浴びせられたバッシングを見て、日本は全体主義に向かっているという恐怖を感じ、自分が足元からできることは何かを考え始めた。
あの時、このバッシングに対して私と同じような違和感を持っている人が見つからなかったから、自分が自分のやり方でしかやっていくしかないなと、思った。
市民運動やっている人達も沈黙していた。
市民運動やっている人達は、ヘイトスピーチが始まった当初も沈黙していた。
みんなが騒ぎだしてから、一緒に声を上げ始める人達だとしか思えなかった。
そもそも、有機農の畑を始めたのも、これが発端。
食とエネルギーを国や企業に支配されたらノーも言えなくなる。
最低、言いたいことを言うために、食とエネルギーでは自立しておこうと。
311の起こるずっと前だったけど、そんなことを言っている自分はずいぶんと変人扱いされたが。変人どころか、ばかにされた。私をばかにしていた人達が、311後に手を返したように考えを変えたので、逆に私は畑をやる気が萎えてしまったんだけど。
解放されたジャーナリストの安田さんに対するバッシングを見て、少しも1ミリも変わってないな、と。
それどころか、悪くなっている。
今年になってからの日大とかスポーツ業界へのバッシングを見ても、何かちょっとでもやらかした人を手ぐすね引いて待っていて、みんなで吊るし上げようという感じがこわい。
もはやもはや、笑い飛ばすしかないなー、いろいろと。
地域で笑いヨガ始めます。笑
自分で考えること
小周天を学びたくて土日で大内雅弘さんの講座に参加していたのだが、一番共感したのが、「先生がやっているからとマネするのは危険。自分で考える。なんでそうするのだろう、何が起きているのだろうと自分で考える」と言う大内さんの言葉。
大内さんは「一人一人がリーダーだ」と言う。
これに強く同感。
私が色々な場に行って一番違和感を感じるのはこれだから。
WSでも講座でも瞑想をする場でもなんでも、教師のことを鵜呑みにしてコピー人間みたいになっている人が多くいらして、それが私には非常に居心地悪い。
マネするだけならまだしも、信者化すると言うか…。
教師の承認を得ようとして目の前にいる人(仲間や、共に学んでいる対等なつながり)のことが見えなくなったり、挙句の果てにはその教師のやり方を布教し始めるというか…。
そういう場がほとんどというか、それ以外の場がなさすぎるというか。
で、自分のような変人は、常に違和感を感じていたり、疑問を持っていたりするわけで、それを口にでもしようものなら、逆に批判されて排除されるというか。
ほんと、あからさまに排除されますよ。そういう経験を何度もしている。苦笑
権威的な人が場を作っていたり、権威的なアカデミックな場(既に社会的評価が確立している場所)であったりすると、その傾向は強まる。
権威的な何か(正解だったり、肩書きだったり)を求めて集まっている人が多いので…。
たいがい、私はそういう場にはいられなくなってやめるんだけどね。
権威のある人の周りに多くの人が群がって取り巻いている状況が耐えられない。
それについつい水を浴びせたくなってしまう人間です。(あー、だから嫌われるんだろーなー)
しかし、でも、今までの社会というのはそうだったのかもしれない。
武道でもなんでも、口伝で、型をとにかく疑問をはさまずに身につけるところからやらされるというか。
大内さんは、「茶道でなぜ正座するのかわからない」とか言っていたが、そういう、そもそもの疑問を抱くこと自体が封じられていたのかもしれない。
しかし、そのやり方自体が変わらなくてはならない時期なのだという感じがしている。
それは男の文化で1500年続いて悪くなる一方で、そのやり方ではこれ以上進化しないという大内さんの言葉に同感。
インターネットの普及と同時に、だれか特定の人が知識を占有するやり方は終わったのだと思う。
戦時中に「天皇陛下バンザイ」と言って死ぬのも、オウム事件も、こういう在り方の延長線上にあるような気がしていて。
さて。
私たちは次の時代をどう生きるのか。どう生きたいのか。
ラクに生きよう
なんていうか、深刻になりすぎる自分を「相変わらず重いね。爆笑」「またまたまた」とか突っ込む自分を育てると、もっとラクに生きられると思うよ。
人生、どれだけラクに生きられるかが勝負だ。
私の場合ね。
重いのがお好きな人にはオススメしません。
それから嫌いな人とムリして付き合わないことね。
距離置いて自分のやりたいことにエネルギーを注いだほうがいい。
マザーテレサじゃないんだしぃ。
その人が自分を幸せにしてくれるわけでもないので。
そこから離れても居場所はあるよ。世界は広い。なければ自分で作ればいい。
自分のことをコントロールしようとする人とは関わらないほうがいい。
例えばこっちが好きで勝手に怒っているのに(その人に怒りをぶつけているわけでもないのに)、怒りの理由も聞かないでそんなに怒ることもないとか言ってくる人は介入であり、余計なお世話であり、自分の暴力性に気づいていない。
ただし、「私はそれを聞きたくない」「自分は怒りが苦手だから聞けない」となったら、それは自分を主語にしたメッセージになるから話は違ってくるし、相手がそう言っているのにやり続けたら、嫌がらせになる。
ま、そもそも怒っている人がイヤなら距離を置くか、離れればいいだけで、それをやらないで相手を変えようとするのはコントロールだし、我慢して関わるのはそうすることに自分がなんらかのうまみや保身を感じているか、もしくはどM。
自分がいいと思うものやいいと思うやり方を、ぐいぐい押し付けてくる人も苦手。
私の人生なんだから、ほっといてくれーーーと叫びたくなる。
そういう人は好意で(好意だと思いこんで)言っているからノーも言いにくいけど、最近はきっぱりとはっきりと自分には必要ありませんと言えるようになった。
自分がやっているのが一番いいものだという思い込みを押し付けられるのも、迷惑な話だが。
人には向き不向きや相性があり、万能なものはない。
だいたい、多くの人は、自分のことをわきに置いといて人のことをやりすぎる。
人を見て、あの人が病気だとか、あの人が問題だとか言う人が多いけど、その自分がどれだけ狂っているんだか、それを見た方がいい。
自分のことをやるより、人のことをやったほうがずっとたやすい。
自分のことを見るのは痛い。
それで、自分の人生を生きないで人のことだけやって人生が終わっちゃうんだけど。
自分のことをやるだけでも世界は変わる。
(集合意識レベルではつながっているから)
というか、そこからしか始められない。