なないろのあめ

七色の魔法の杖を持って、この世界に花を咲かせよう。歓びの歌を響かせよう。

かけられた魔法を解くために

まとまった継続した記事を書いている時間がなかなか取れないのだけれども、思いついたことを少しずつでも書いていきたいと思う。

さっき、ふと、思い出したこと。

私は長い間、ずっと、自分は幸せになってはいけないと思っていた。
そもそも、幸せとはいったいどんな状態なのかも想像がつかなかったし。(この点は、いまでもはっきりとわかっているとは言えない。苦笑)

幸せになってはいけないと思っている人間が、幸せになれるわけがない。

だからまず、自分は幸せになってもいいのだと、自分に許可を与えることが最初の一歩なのだと思う。
これができていない人、結構、多いんじゃないのかな。


「幸せになってはいけない」

なんでそう思ったかというと、いつも思っていたのは、世界の裏側には貧困も飢餓もあるのに、自分だけ幸せになってはならないという思いだった。
いま思うと、私が幸せだろうが不幸だろうが、貧困や飢餓に1ミリも影響を与えないわけだが(苦笑)、自分だけ楽しそうにしていてはいけないと思ったのだ。

そう思った背景には、やはり、生育歴における刷り込みがあったと思う。

私は、両親からしばしば「親の苦労がわからない」とか「遊んでばかりいてはダメだ」とか「変わっている子だ」とか、そんな言葉を日常茶飯事に投げかけられていた。
また、母親はしばしばため息をつきながら「歳をとると何一ついいことがない」と言っていた。

そのうち、自分の存在自体が、親を不幸にしていると思うようになったのだと思う。
自分は親を不幸にしている人間だ。
親の期待には応えられない。(だけど親の期待に応えていたら本当の自分を殺すことになる)

いずれにしても、親を不幸にしている自分は、幸せになってはいけない。

こんな風に理路整然と考えてはいなかったけれど、こういう刷り込みが潜在意識というか、無意識下に刷り込まれたのではないだろうか。

これは「呪い」だと思う。
言葉は人に呪いをかける。

その呪いとの格闘こそが、自分の生きにくさとの格闘だったとも言える。

そして、そのうち私は本当に魔法を習った。
セラピーだとかコーチングだとか瞑想だとか、呪いを解く魔法を。

それについて少しずつ丁寧に書いていきたいんだけど、もったいつけてるみたいでごめんねー。
少しずつ書いていきます。


みどりんという本当の魔法使いから「魔法」も習ったんだけど(笑)、そのお話もまた後ほど。