なないろのあめ

七色の魔法の杖を持って、この世界に花を咲かせよう。歓びの歌を響かせよう。

私は笑いを選択する

私が市民運動と関わりだしたのは、2004年のイラク日本人人質事件がきっかけだった。
この時、解放された高遠さんらに浴びせられたバッシングを見て、日本は全体主義に向かっているという恐怖を感じ、自分が足元からできることは何かを考え始めた。

あの時、このバッシングに対して私と同じような違和感を持っている人が見つからなかったから、自分が自分のやり方でしかやっていくしかないなと、思った。

市民運動やっている人達も沈黙していた。
市民運動やっている人達は、ヘイトスピーチが始まった当初も沈黙していた。
みんなが騒ぎだしてから、一緒に声を上げ始める人達だとしか思えなかった。

そもそも、有機農の畑を始めたのも、これが発端。
食とエネルギーを国や企業に支配されたらノーも言えなくなる。
最低、言いたいことを言うために、食とエネルギーでは自立しておこうと。
311の起こるずっと前だったけど、そんなことを言っている自分はずいぶんと変人扱いされたが。変人どころか、ばかにされた。私をばかにしていた人達が、311後に手を返したように考えを変えたので、逆に私は畑をやる気が萎えてしまったんだけど。

解放されたジャーナリストの安田さんに対するバッシングを見て、少しも1ミリも変わってないな、と。
それどころか、悪くなっている。

今年になってからの日大とかスポーツ業界へのバッシングを見ても、何かちょっとでもやらかした人を手ぐすね引いて待っていて、みんなで吊るし上げようという感じがこわい。

もはやもはや、笑い飛ばすしかないなー、いろいろと。

地域で笑いヨガ始めます。笑