なないろのあめ

七色の魔法の杖を持って、この世界に花を咲かせよう。歓びの歌を響かせよう。

マインドフルネスになるのに何時間も座る必要はない

最近、マインドフルネスという言葉や

マインドフルネス瞑想というのが流行っている。

 

Google社がマインドフルネス研修を導入したことで

マインドフルネスという言葉は一躍有名になったようだ。

 

私も今ネットを検索してみた。w

 

ネット上では、

マインドフルネスとは「注意深く気づいていること」と書かれていた。

 

うん。なるほど。

 

じゃあ、それどうやったらできるの?

 

いろんな瞑想法や呼吸法などもネット上には紹介されていた。

だが、どうもピンとこない。

 

私は取材を含めてありとあらゆる瞑想法やワークを体験した人間だが、

こういうことをすればするほど

マインドフルネスな状態から離れていった気がする。

 

なので自分の経験から、

こうしたら人と関わる上で「マインドフルネス=注意深く気づいている状態」になれたよ

ということを、具体的に書いてみようと思う。

 

「なぜ人と関わる上で」と限定したかというと、

一人だけでマインドフルネスになるのは簡単なんですよ。

でも人と関わるとすぐに崩れる。

というか、すべての問題は対人関係から生じると言っても過言ではない。

 

 

なのでここでは、人と関わる時の心の状態と

こうしたらマインドフルネスに近づけるということを、

自分の経験から具体的に書いてみたいと思う。

 

 

自分の中に降りてきた言葉をそのまま書きます。

断言口調ですが、自分の内側とつながって出てきた言葉なので

そのまま書いた方が伝わるのではないかと。

特にこの手の話題では。

 

なのでそのまま書きます。

 

 

 

 

善悪優劣と偏見と先入観。


それをいかにしてはずして、

人と相対し話を聞けるかどうか。

 

なくすということではない。
それをなくすのは、ほぼ不可能。

 

ある人を見た時、

自分が自動反応的にくだしている判断がある。


こういう言い方をする人はこうだ、

こういう肩書きの人はこうだ、

こういう見た目の人はこうだ。


自分の中にあるその決めつけに、まずは気付くこと。

 

 

それに気付き始めたら、面白いことがわかるよ。


自分がいかに人を見ていないか、

自分がいかに人の話を聞いてないかがわかるから。


見ているのはいつも自分の中にある思い込みで、

聞いているのはいつも自分の中にある判断。

 

誰かの言葉を聞くと即座に「私」はこう言うだろう。
「こんなこと言うこの人はダメだ」
「こんなこと言うこの人はすごい」
「こんなこと言う人はおかしい」


つまり、自分の頭の中に鳴り響いている

「相手に対する判断」を聞いているだけ。

 

 

もしくはこういう人もいるよね。
「ちゃんと聞かなきゃ」
「聞けてない自分はダメだ」
「正しく聞こう」
「ジャッジしちゃだめだ」


こういう人は、自分の頭の中に鳴り響いている

「自分に対する判断」を聞いているだけ。

 

もしくは人の話を聞きながら、

他のことを考えていたり、

ここに全くいない場合もある。

 

だけど正しい聞き方があるわけじゃない。


自分に何が起きているのかを

自覚しているのが大事だ。

 

正しい聞き方があると思ってそっちにいこうとすると、

また違う迷路に入ってしまう。
(自覚してやっている限り、それはそれで面白いのだが)

 

こうやって、今自分の内側に何が起きているのかに気付き始め、

そこを自覚した上で話を聞き、

人と相対し始めると、

人の言葉や人の振る舞いが

今までとまったく違うものとして立ち上がってくる。

 

これがマインドフルネスの状態じゃないかと、

私は勝手に思っている。

 

マインドフルネスになるのに何時間も座る必要性もない。


というか、座れば座るほどマインドフルネスから離れていく人も多い。

 

マインドフルネスは何かを無にすることでも、

判断をなくすことでもない。


自分の内側に起きていることに

ただ気づいていること。

 

この気づきや自覚がないと、

自分の幻想に溺れて生きているということになる。

 

ここに気付き始めると、

本当に生きるのがラクになるし、

人と関わるのが楽しくなってくる。