なないろのあめ

七色の魔法の杖を持って、この世界に花を咲かせよう。歓びの歌を響かせよう。

目的がないと人は空虚になる

きょう、押入れの中に着ていない服が幾つもあるのを見て、あー、自分は本当に空虚だったんだなぁと思った。

私は長い間、生きる意味がわからなかった。
生きる意味がわからない。
つまり、目的がないのだ。
目的がないと人は空虚になる。

たとえば、コピーライターやプロデューサーになって小金を稼げるようになっても、その金を使って何をしたいかがわからない。
思いつくのは飲みにいくくらいで。
だから、それから海外旅行に行ったり、スキューバダイビングをしたりするようになった。

お金を稼ぐために、生活のために働くが、そのお金を使って何をやっていいかわからない。
なんのために生きているのかわからない。
消費をするために、お金を使うために、働き続ける。
でもそこに目的はない。
それを考えるのがいやで、考えないように逃避的に酒を飲んだり遊んだりする。

そういう人って多いのではないだろうか。

私はこういう生き方を受益者としての生き方と呼んでいる。
目的がなく、与えられた枠組みの中で、その枠組みから利益を受け取って生きる生き方。
そこには主体性がない。
その枠組みの中で優劣を競い合ったり、競争したりしている。
原動力は不安。不安を解消するために安定を求めて生きている。
その人たちは、自分の人生や運命の責任をすべて外側に置き、他者や社会に対する不平・不満・愚痴のなかで生きている。

一方、創造者としての生き方がある。

それは枠組みから出る生き方だ。

前者が、起きた出来事にただただ反応して、快適さを求めて生きる生き方だとしたら、
創造者として生きる生き方は、まず目的ありき、まずミッションありきというか。
自分がこの世界や自分の人生を創造できるとして、そこから何ができるかを考える。

起きていること、今あることに反応して生きる生き方から、
自分が創造していきたい世界や社会や人生を見据えながら、そこから今できることをやる生き方。

この両者は、見た目は同じことをしているにみえても、意図がまったく違うのだ。

意図がない生き方は、糸が切れた風船みたいにただ漂い、場当たり的に生きているだけだ。
でも、そうやって生きる生き方しか知らなかった。


そして今ようやく創造者として生きることを始めていて、過去の受益者としえの自分を思い出すと、あぁあれじゃあ苦しくって当たり前だったよなぁとしみじみ思っている。