なないろのあめ

七色の魔法の杖を持って、この世界に花を咲かせよう。歓びの歌を響かせよう。

診察室から出て、社会的問題解決のために奔走した精神科医・斎藤学氏のこと

20数年前に

ありとあらゆるセラピー技法を、

つまみ食い的に試していたことがある。

 

プロセスワーク、ハコミセラピー、バイオシンセシス

バイオエナジェティック、サイコドラマ、交流分析

ゲシュタルト、ロジャース、ユングフロイト、箱庭、ナラティブ……。

 

20数年前、

カウンセラーさえ珍しく、コーチはまだ日本にいなくて、

心に悩みを抱く人間や引きこもりは異常だと言われた時代。

(そんな時代があったこと、信じられますか?)

 

DVや児童虐待は家庭内の問題とされ、

そこで何が起こっても部外者は立ち入ることが難しかった。

 

カウンセリングを受けられるのは、

当時、精神科や心療内科を受診した人だけだった。

 

そういう状況を変えて、

セラピーを誰でも受けられるように門戸を開放し、

いろんなセラピーが世の中にはあるんだよと

日本に紹介していったのが、

我が師である精神分析医の斎藤学氏だ。

 

 

当時、ユング派ではもちろん河合隼雄氏がいたけれども、

彼はいろんな人がセラピーを受けられるように門戸を開いた人ではなく、

カウンセリングやセラピーを専門化しようとした人だと思う。

 

アダルトチルドレンという言葉と、

自助グループという在り方を世に広めた斎藤学氏は

摂食障害自助グループ「NABA」を作ったのは斎藤学で、

薬物依存の自助グループ「ダルク」を作ったのは斎藤学の患者だった人)、

そういう特権化をひどく嫌う人で、専門家主義を批判した。

 

 

斎藤学氏が運営していたクリニックには、

当時、さまざまな当事者やサバイバーや

ありとあらゆる人が日本中から集まっていた。

 

病気ではないけれど、生きにくい人。

精神科や神経科領域ではないから、

どこに助けを求めていいかわからない人。

 

DV、児童虐待、引きこもり、

差別やいじめやレイプなどなどの当事者、加害者、家族。

 

そういう人たちが日本全国から、

斎藤氏のところに集まってきていて、

互いの話を聞きあっていた。

(言いっ放し聞きっぱなしで

当事者同士が輪になって話を聞き合うのが、

さいとうクリニックのやり方だった。)

 

 

また、斎藤氏のクリニックでは、

デイナイトケアというシステムを使って、

最先端のセラピーを保険適用で好きなだけ

受け放題に受けられる仕組みを作っていた。

 

海外で学んできたけれども

仕事につながっていなかったセラピストの方々が、

ここを実践の場としていた。

 

そして私も、ここでありとあらゆるセラピーを、

保険を使って安く体験できたわけ。

 

 

 

フェミニストの人たちのことを悪く言う人たちがいるけれど、

何を知っていてわかったようなことを言うんだとハラが立つ。

 

誰も介入しなかったDVやレイプや児童虐待の問題を変えてきたのは、

フェミニストたちだ。

それを知らないで、表層的なところだけ見て、

男並みになろうとしている女達だとのたまう連中には苛立ちを禁じえない。

 

 

2000年に「児童虐待防止法」が制定される前、

斎藤学氏は手弁当で何度も国会に足を運び、

児童虐待防止法の制定に尽力した。

 

そもそも、医者であれば、子供が怪我で病院に運びこまれた時、

そこに親からの暴力があるとわかったはずだ。

だが、多くの医者は見て見ぬフリをした。

 

斎藤学は、

精神科医は診察室にこもって患者の治療だけしていればいい

という非難を受けながらも、

診察室から出て行って、児童虐待のことを世に訴え、

本を書き、警鐘を鳴らした。

 

 

DVの被害者が逃げこめる民間のシェルターを私費で作り、

働き場のない患者達をスタッフとして雇うために作ったのが

さいとうクリニックでもあった。

 

斎藤氏は患者から届く膨大な手紙にすべて目を通し、

一言メッセージを入れて返していた。

 

斎藤氏はよくこう言っていた。

「私はただのおじさんだ。あなたたちには力がある。

病はあなたの力の表れだ。」

 

私は斎藤学からこう言われた。

「ウツ?あなたはウツじゃないよ、治しちゃダメだ。

治したらあなたのエキセントリックな魅力がなくなってしまう」

 

 

私は「斎藤先生のこういう業績を本にして残した方がいいよ。私が書いてあげるから」

と言ったのだが、首を縦に振らなかった。

だから、いま、ここに書いた。

(インフルエンザの勢いで。笑)

 

 

私は、こんな治療者をほかに知らない。

彼は河合隼雄みたいにたくさんの本を残してない。

なぜなら、クリニックを立ち上げてからは、

患者と向き合う時間が多すぎて、

本など書いている時間がなかったからだ。

 

 

私は、斎藤学を、リスペクトする。