なないろのあめ

七色の魔法の杖を持って、この世界に花を咲かせよう。歓びの歌を響かせよう。

「窓を閉めてください」と言えるということ。

30代の頃に、ヒーリングとかセラピーとかオルタナティブメディスンとかについて取材して記事を書いていた。
ちょうどオウム事件の前後くらいの時期に。

それをきっかけにして私の人生は大きく変わって行くのだけれども。

フリーラーターでこういう世界と無縁だった私がなぜこういう世界を取材して記事に書き始めるようになったかは、また、おいおい書くとして…。

今日は、そういう取材を始めて、いろんな人のところでヒーリングだとかセラピーだとかワークだとかを受け始めた頃のことを書いてみたいと思う。
(もう二十数年前のことになるのだけれども)

とある整体師というかヒーラーみたいな方のところに、体験取材みたいな感じで伺い、ヒーリングを受けていた時のことだ。


その方から、「寒くない?寒かったら言ってくださいね、窓を閉めるから」と言われて、「えっ?」と思った。
当時私はそういう発想が全くなかったから。
そういう風に誰かから聞かれてこともなかったし。

自分が寒いと感じても、窓がしまっていたならガマンするものだと思っていたし、自分が寒くても他の人が寒いと感じなければ自分のこの感覚はガマンしなければならないと思っていた。
人に合わせるのがよくて、自分の中にわいてくるものはガマンしなければならない。

こんな風に思っていて、それを当たり前だとして生きていたことがあったということを今朝ふいに思い出し、びっくりした。
既にそんな感覚は忘れかけていて、今だったら寒いと感じたらすぐにそう言うし、というか自分の家じゃなくても自分で勝手に窓を閉めにいったりする、今ではもはや。

でも、二十数年前の自分はそうじゃなかったんだっけ、と、ふと思い出した。

そりゃあ、生きにくかったわけだ。苦笑

そして、そんな風に生きにくかったのにもかかわらず、懸命に生きようとしていた自分のことを思い出して、少しだけ涙が出て、そんな自分をいとおしく感じ、当時の自分を抱きしめたくなった。

あんなに生きにくかったのに、生きる意味も喜びもわからなかったのに、今はこんな風に生きるのがラクになって、仲間もいっぱいいて、好きなことや楽しいこともいっぱいある。

よくいきてきた、と。

他の人ってどうなのだろう。
寒くても、他の人がそう感じていないならば、その感覚をガマンした方がいいと思っている人って多いのかしら。

もしそういう人がたまたまこのブログを目にしたとしたら、どうぞ、このブログを読み続けてください。

きっとヒントになるようなことがいっぱいあると思いますから。
(今から少しずつ、自分の実体験の中から、そういうことを書いていくつもりです)







 

新しく再スタート(生きやすくなるためのブログとして)

はてなブログを開設して随分経ちます。

このブログをうまく使いこなせないままでいたのですが、ようやく書きたいテーマが見えてきましたので、少しずつ書いていきます。

書くテーマは、生きにくかった自分がどうやって生きるのがラクになっていったかについて。

自分がいろいろ試行錯誤しながら生きてきて、こうやったらラクになったいう考え方とか、意識の使い方とか、セルフケア(セルフラブ)の方法などについて書き綴っていきたいと思います。

過去の自分と今の自分を比較しながら…。

なわけで、よろしくお願いいたします。

なないろのあめ

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私が歓べば、この世界も歓ぶだろう。
私が歌えば、この世界も歌うだろう。
だから自分を歓びで満たし、自分を愛し、人を愛し…。

私の持てるものすべてをこの地球や人とわかちあえば、それは滋養となって、人や地球をうるおすだろう。
私の歩いた後に、7色の花が咲いていくだろう。

潮の満ち引きのように、鳥のさえずりのように。
月の灯りを、花のかぐわしさを、石の哲学を、あなたは楽しみ、共鳴し、
その音をこの地球に響かせる。
甘美な歓びの中で、言葉を、エネルギーを、官能を響かせ続ける。
生きることの躍動、歓喜、怖れ、笑い、すべて、すべて、すべて、生きることのすべて。
生も死もまるごとすべて。
7色の官能と命と歓喜。
虹のような。
自分の歌を歌おう。自分だけの歌を。

みずからの命を、霊性を、
肉体を通じて奏で、
世界に7色の息吹を吹き込む。
神の息吹を。

勇気という7色の魔法の杖を持って。