なないろのあめ

七色の魔法の杖を持って、この世界に花を咲かせよう。歓びの歌を響かせよう。

レバナ・シェル・ブドラとの出会い

いま、レバナ・シェル・ブドラの『今すぐ人生を変える簡単ながら6つの方法』という本を、たまたま本棚で見つけて引っ張りだした。

 

レバナは、私が、こういう目に見えない世界の取材をした最初の人で、レバナとの出会いがなかったら今の私はないと思う。

レバナとの出会いは、二十数年前。

 

取材に行ったフリーライターの私に対するレバナの第一声が、「あなたのガイドがあなたにこれを伝えろとうるさいので、伝えますね。あなたはやるべき仕事を全くやらずに、道端の花を摘んだり、イルカと泳いだり、そんなことばかりしていると、あなたのガイドは言っています」というものだった。

 

ガイドって、何?

やるべき仕事って、何?

 

それまで、芸術系で、そういう目に見えない世界と無縁に生きていた私は面食らった。

 

この本の32ページに、こう書いてある。

「さまざまな苦痛を引き起こしているネガティヴな感情を放出することは、それほど難しいことではありません。でも、ほとんどの人たちは、それを行なっていません。なぜなのでしょう。答えは単純です。そうするための簡単な方法を、これまで誰にも教わらなかったのです!」

 

エス

 

今でこそ、カウンセリングやセラピーや瞑想やヨガや気功やスピリチュアルなワークや自己啓発のワークショップなどが当たり前にあるが、二十数年前の日本にはそんなもの、まったくなかった。

カウンセリングを受ける人は、精神病院にいる患者だけで、心に問題があることは恥ずべきことで隠していなければならなかった。

そんな時代があったのだ。

 

鍼灸やヨガや気功ですら怪しいと言われていたのだから、びっくりだ。

 

私自身は、小学生くらいから、重い暗い精神状態の中を生きてきて、楽しいと感じる時間などなく、それが当たり前かと思っていた。

いつも体が重く、やりたいと思えるものが何もなく、まぁ、ウツみたいな感じでずっと生きてきた。

 

たしかに、そこから出る方法を教えてくれる人は誰もいなかった。

 

簡単な意識の使い方なのだ、それを知らないだけだったのだと、今は知っている。

 

それを知るのに二十年以上もかかったわけだが。

まず、自分の孤独をなんとかする

孤独、孤立感、理解してもらえないこと、排除。これらはすべての病や苦しさの根本にあるものではないか。


私もその感覚があったはずなのに、幼い頃、若い頃には、その感覚に気付かなかった。


親がコントロールする人で、自分の空虚感を子供を使ってみたそうとする人で、子供の頃からお稽古や塾や家庭教師で私の時間は全くなく(学校で居眠りしてるのが私の時間)、親が私の部屋や日記をいつもチェックしていたので(これは虐待の一種だと後に言われた)、侵入されるのがイヤで、自分のスペースに人が入ってこないように、いつも目に見えない壁を作って生きてきた。なるべく人と関わらないようにして。


自分が孤独なのかもしれないと気づいたのは、実父が死んだ9年前。(その時のことは、また改めて書いてみたい)


孤独に気づいて何をやったかというと、居場所や仲間を求めて外に出て行った。
(普通の人が思春期にやることをようやく始めたということです)


だが、自分が思っている居場所じゃないと、違うと思って腹が立つ。そして、余計に孤独感が深まる。苦笑


なので、自分で居場所を作ろうと思って居場所作りをやっていたのが、ここ数年。


そして、居場所ができても、仲間ができても、自分の内側にあるおおもとの孤独をなんとかしなければ何をやってもダメだし、その孤独感こそが人と自分を分離していると気づいたのが、最近。


そんな当たり前のこと、さんざん勉強してきたことのはずなのに、
人を癒すことや人の話を聞くことはやってきたのに、自分を癒したり、自分の話を聞いたり、自分と遊ぶことはやってなかったのかもしれない。


というわけで、自分が学んだヒーリングを自分に使ってみて、自分のうちにある孤独や分離の感覚を観察してるのが、今ここ。笑


ま、なんだかんだ深刻に言ってはいますが、自分を実験台にして観察しておもしろがっているところがなきにしもあらず。
私の宇宙人的な魂の自分は、結構、こうやって自分を俯瞰してみて楽しんでる魂で、それが私を救ってきたというか、救うというほど深刻でもなく、自分で自分を楽しむという質を、いつも私に与えてくれている。

本音で生きる

こうあるべきということを主張したり、強いてきたりする人となるべく関わらなくて済む人生を歩もうと改めて確認する今日この頃。

それにしても、自分の内側と外側が一致するようになってから、どんなに生きることがラクになったか。

いやなことはいやだと感じ、その感覚にOKを出し、自分が大事だと思うことや好きなことを自分の人生に増やしていくだけで、人生は本当にラクになり、自由になる。

違うと思ってもニコニコしていた時は、誰かにムリに合わせていた時は、この感覚は味わえなかった。

自分の中にわいてくる不快な感覚にイエスを言えて初めて、自分が何が好きで何が大事で何を大切に思っているかがわかってくる。

人の気持ちじゃなく、この自分の感覚に従う。
これが結構難しいのだが(私にとっては難しかったのだが)ここから生きるようになって、自分の人生や、喜びを感じる感覚が全く違ってきた。

人からどう見えてるかはわからないけど。

それにしても、本音しか出せないエキセントリックな自分をいつもまるごと受け入れてくれている仲間たちに改めて感謝だ。

創造者として生きる

何者かになることで自分の居場所を得る、という人生観を持っていて、それに従って長い時間を生きてきた。(たいていの人がそうやって生きているのではないかと思う。)
だが、そうやって生きている限り、永遠に苦しさから抜け出せない。


まず、自分がこの世界を創造しているのだと思うのだ。
そして、自分が創造者ならどんな世界を作りたいか?どんな人生を創造したいか?
誰と、どこで、どんな風に、どんな世界で生きたいか?
それが起点なのだ。
それを創造するために、今の自分に何ができるか。そこから始めるしかない。


だが、多くの人はその起点がないまま、ただ場当たり的に生きている。
誰かが作った世界の中で、誰かに不満を言って、誰かに承認されて、その枠組みの中で生きていた方がラクだから。
自分で枠組みを作るより。


しかし、枠組みの中にいる限り、その中で永遠に比較競争のラットレースをやり続けるしかない。

生きる意味がわからなかった。

自分の中にわいてきた本当の気持ちや思いや感覚を否定しながら、どうやってライターとして記事を書いていたかについて綴ってみると直前の投稿で予告したが、その前に、なんとなく今書きたくなったことを今日は書いてみる。

先日、家の近所を歩いていたら、20年くらい前の自分の感覚を思い出した。

生きる意味がまったくわからなかった頃のこと。


生きる意味がわからないことがイコール私の生きにくさだった。

他の人というのは生きる意味がわかっているのだろうか。
楽しそうに快活に生きている人たちは、生きる意味がわかっているのだろうか。

今またそんなことを、他の人にインタビューしてみたい気分になっている。



私は生きる意味も、楽しいという感覚も、幸せだという感覚も持ち合わさずに生きてきた。
それがわかるようになったのが、つい最近というか。

夢もなかった。希望もなかった。(苦笑)

お金があっても、それを何に使っていいかがよく分からなかった。

他の人ってどうなんだろう?

 

私の場合は唯一の夢が犬を飼うことで、その夢が実現したら、もう何をしていいかわからなくなっちゃったんだ。


子供の頃は、親だとか、社会で生きている大人たちを見ても、こんな風にはなりたくない、みたいにしか思えなくて、自分の中にロールモデルと呼べるような人がいなかった。

小学校の頃とかによく、尊敬する人は?というのを記入する欄とかがあるけれども、そこに誰を書いていいかわからなかった。
尊敬する人という欄の中に「両親」と書く人がいるけれども、そういう人が本当に羨ましかった。

まわりに、自分のそういう気分を共有できる友達もいなかったし、友達をほしいとも思わなかったし、むしろ友達と過ごす時間を無駄だとしか感じていなかった。

そういう感覚をなんとかやり過ごして生きてきた。
というか、そこそこ優秀な部類だったかもしれない。
友達とかいなかったし(ほしいとも思わなかったし)、家には居場所はなかったから、本ばかり読んでいたからなのかもしれない。

一番しんどかったのが30年くらい前だっただろうか。
当時は、今みたいにセラピーもカウンセリングもコーチングもまったくなかった。
アロマもマッサージもフラワーエッセンスもリーディングも気功もヨガも瞑想もなかった。そういうのをやっているのは宗教的な危ない人たちと見られていた。

今、振り返って見て、ほんと、そうだったなー。

そんな時代もあったんだなー。
生協ですら危ない人たちと言われてたもん。笑

だから、今みたいな時代は、本当にあふれかえっているとは言えるけれども、いろんなアプローチやいろんな視点があるから逆に混乱するのかもしれないけれども、やはり私から見たら豊かであるように思う。


二十数年前。
犬を飼って、生きる目的がなくなって、毎日やることは今日のお昼は何をどこで食べようかということを考えるだけ。
当時は毎朝起きて(そもそも起きた瞬間から全身がだるかったけれども)、いまはやめているタバコを数時間ただぼーっと吸いながら午前中を過ごしていた。

わ、ひでぇ。

今思い出すと、すごいな、自分。

 

そんな時代があったことも忘れているくらい、今はやりたいことややることがいっぱいありすぎて、やることをしぼらなきゃと思っている自分がいる。

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

いまや、対話の場を作るまでに。

昨日、自分は二十数年前、寒くても「窓を閉めてください」と言うこともできなかった。

ということを書いた。


いま私は、地元で「いのちの対話」というプロジェクトを始めている。
「ひとりひとりの命が大切にされる社会を、一人一人が主体的に作る」というビジョンをもとに、地域で命について対話する場を作るというプロジェクトだ。
https://inochinotaiwa.jimdofree.com

自分の命のことを、権威だとか専門家だとかに人任せにするのではなく、ひとりひとりが自分の命について自分で考え、自分の言葉と力を取り戻す。
そのために、地域(まず地元から)に対話の場を広げていく。

というプロジェクトなのだが、
寒くてもその窓を閉めてくださいとも言えず、その気持ちを押し殺そうとしていた自分が、今やこういうプロジェクトを自分で始めるようになったんだと今更ながらに気づいてびっくりして、それで深夜にやおら投稿している次第。笑

日大アメフト部のことが話題になっていたけれども、寒いという気持ちを押し殺し、窓を閉めてくださいとも言えなかった、言うことを考えたこともなかった自分は、コーチに言われたことを正しいと思ってそのままやる選手と重なる。

取材するようになってたくさんのワークショップなどにも参加したが、講師や教師の言葉を鵜呑みにしてそれを自分で問い直すことなく、それを正しいと思い込んでしまう人たちもたくさん見てきて随分違和感を感じてきたのだが、よく考えてみたら二十数年前の自分もそうだった。苦笑

さらに考えてみたら、自分はフリーライターをやっていたわけで、自分の中にわいてきた感覚を否定しながらどうやって記事を書いていたのか。

その辺のことを明日以降に書いてみたいと思う。